自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん。
2016/05/09
石原慎太郎氏の「天才」を読みました。
アメリカという外国の策略で田中角栄という未曾有の天才を否定し葬ることで改竄(かいざん)されることは絶対に許されるものでありはしない。と後書きで著者は記しています。
田中角栄氏自身、疑惑事件の後、基本的姿勢を表現したのが表題の孟子の言葉です。
意味は、自分の心を振り返ってみたときに自分が正しければ、たとえ相手が千万人であっても私は敢然と進んでこれに当ろう。
氏は、今太閤と呼ばれ、国民に絶大な人気がありました。
今太閤とは、初代千円札の顔であった伊藤博文氏、政治家の三木武吉氏、阪急電鉄の小林一三氏、松下電器の松下幸之助氏、大映の永田雅一氏、吉本興業の吉本せい(女今太閤)氏らが該当するそうです。つまり、「今太閤」とは貧しい生まれから立身出世して大きな権力を握るに至った者の代名詞として使われるようになった詞です。
共通点は、志があったということです。それが、「 自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん。」だと実感できました。
国の行く末、人の有り様について深すぎる姿勢です。