組織に人生のタスクを活かす(心理面)
人生のタスク(課題)について、心理面の目標として、
- わたしには能力がある、という意識
- 人々はわたしの仲間である、という意識, に触れていきます。
自分が生きていくにあたって、どうすればいいか、アドラーはこう考察します。
「人生の目標は共同体感覚」であると。
簡潔に表現すれば、
「自己への執着」→「他者への関心」
または、「自己中心的」→「コモンセンス」へ変わることである、となります。
つまり、
自立するために私には能力がある、という意識(自己受容)をもつ。
そして、社会と調和して暮らすために人々はわたしの仲間である、という意識(他者信頼、他者貢献)ともつことだと教えてくれます。
換言するために言葉を引用し解説をします。
自己受容とは・・・
「野心のある人の場合に限らず、出発点としては今のこの私しかないのであって、いわば等身大の現実の自分を見据えずに背伸びして自分をよく見せようとするのもおかしいし、いきなり理想の自分を目指し、理想に到達しない現実の自分を感情的に責めてみても意味がない。理想はあくまでも理想であって、現実とは異なるということをはっきり意識することは必要である。このままではよくなくて、やがて、変わっていかなければならないにしても、まずは出発点として、今のありのままこの自分を受け入れることから始めたい。」
(『アドラーを読む 共同体感覚の諸相』P142 岸見一郎著)
→この世において、私には居場所がある。私には価値があるといえる場所がある。素な自分を受け入れてくれる所属先があって、はじめて自分は自分を受け入れることが出来る。
他者信頼、他者貢献とは・・・
「社会生活を送っていくにあたって一番重要なことは、自分のことを忘れ、他の人のことを考えることである。他の人の目で見、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じられなければならない。手がけようとする仕事に全力を捧げなければならない。その際、自分が重要な人であると思われるというようなことを考えてはならない。ただ受け、認められるだけではなく、与え、貢献する機会を探さなければならない。このような態度は、よきホステスに似ているといえる。ホストや、ホステスはゲストが気持ちよく過ごせさえしたら幸福なのである」(『Adler Speaks,P40』)
『他の人の目で見、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じられなければならない』というのは、共同体感覚の定義である。個人的な優越性の追求をすることなく、他者に関心を持ち、他者から与えられることではなく、何を与えることができるかを考える。そうすることが逆説的だが、真に他者から受けることにもなるのである」
(『アドラーを読む 共同体感覚の諸相』P143 岸見一郎著)
→主観的に他者と何かしら共通点を持ち、仲間の一員であるという認識を持つことで、この世において、安全性を感じ、自分に対しても他者に対しても安全で信頼できる。
共同体感覚を得るための自己の姿勢は・・・
「人間は決して環境から一方的な影響を受けるわけではない。過去の経験や外的環境はたしかに大きな影響を人に与えることはあるが、決定因ではない。人はどんな状況においても、無力な存在ではなく、その状況の中でどう生きるかは、本人の決断に委ねられている。
どんな状況にあっても、手をこまねいているのではなく、私がしなければならない。私にしかできないといっていい。誰も自分の人生を代わって生きるわけにはいかない。」
(『アドラーを読む 共同体感覚の諸相』P149 岸見一郎著)
→この世において、私には意味があり、そして貢献できる存在である。
共同体感覚を得ると・・・
「もしも子どもがすべての人にとって親しい友になり、有益な仕事と幸福な結婚によって社会に貢献することができるのであれば、他者より劣っているとか、負けたとも感じないだろう。自分が好きな人に出会い、困難に対処する仕事に耐えることができ、自分はこの友好的な世界でくつろいでいる、と感じるだろう。また、『この世界は私の世界だ。待ったり、期待しないで、私が行動し作り出さないといけない』と感じるだろう。そして、現在という時は人類の歴史におけるただ一回きりの時であり、人類の歴史-過去、現在、そして未来の全体に属している、と十分確信するだろう。しかし、今こそ自分が創造的な、課題を成就し、人間の発展に自ら貢献できる時だ、とも感じるだろう。たしかにこの世界には、悪、困難、偏見はある。しかし、それがわれわれの世界であり、その利点も不利な点もわれわれのものである。われわれはこの世界の中で働き、進歩していくのであり、誰かが自分の課題に適切な仕方で臆することなく立ち向かうならば、世界を改善するにあたって自分の役割を果たすことができることを希望していい」
(『人生の意味の心理学(下)』P137~138 岸見一郎訳、アルテ、2010年)
→子供のうちから仲間意識と自分の役割を醸成できたなら、争いのない平和な国を実現することができる。
「ありのままの自分をそのまま受け入れて(自己受容)、周囲の人たちを信頼する(他者信頼)。信頼する仲間がいたら、そこから自分の所属する共同体を見つけることができる。そして、自分のできることをし、仲間である他者に貢献する(他者貢献)。そうすれば、ありのままの自分を受け入れられる(自己受容)。共同体感覚を得るためにはこの自己受容、他者信頼、他者貢献の3段階が必要であり、これらは1として欠かせない。『自分の給与は少ない』と いう不満がある場合には、自分がどれくらい会社や仕事仲間、または仕事を通して社会に貢献できているかを考えることが大事。すると、仕事の本質が他者貢献であることに気づく。人は他者に貢献していると思えるときに、自分を認められる(自己受容)」
(『アドラー心理学ワークブック』P104~P106 岩井俊憲著)
→社会にとって役割のある存在となるためには、まず自分自身の世話ができなければならない。次に他人に何かを与えたいと強く望み、与えるものを身につけなければならない。そして、それを他人に与えたときにはじめて自分を社会的に意味ある存在と認識することができる。
今日的な問題に視点を移せば・・・
「人間は、行動するときに相手からの見返りを求めがちである。『協力してあげたのに、あいつは本当に感謝しているのか』『会社のためにこれだけ頑張っているのに・・・』といった不満は、誰にでもある。しかし、見返りを求めることは共同体感覚にはつながらない。共同体のために自分が何をしたか、自分が何ができるか。自分ができることをまず考えることが、共同体感覚なのである。
そうはいっても、これは『自分を犠牲にする』ということではない。近年、問題となっているブラック企業は、会社という共同体への貢献を悪用して『自己犠牲』を求めているものだといえる。本当の共同体感覚とは、自分の人生を充実させるためにこそあるもの。会社にいいように使われ、自分を犠牲にしていては精神的な健康につながるはずがない。共同体への貢献は、自分が自分らしく、自分の人生を生きるためにこそ必要なもの。自分を犠牲にしたり、すり減らしたりしても意味はない」
(『アドラー心理学ワークブック』P106 岩井俊憲著)
→自分はなんためにこの世の中に存在しているのか、それは自分にしかできないことがあるからである。持って生まれた役割があるからである。それは自分らしく自分を活かしながら行動したときに認識することができる。
最後に私の好きなアドラーの言葉を繰り返します。
「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」
付録:「人間は、決断するために生きている」國井祥行 以上