労務相談、管理者研修、未払い残業代請求対策なら労務管理センター

虚心平気(中村天風「強靱」の篇)

   

徳川家光が三代将軍になって間もない頃の話。

将軍になってから三年目のときに、朝鮮国王が贈ってきた品物の中に、日本人がはじめて見る虎がいました。

虎の檻の中に人間を入れてみよう。誰がいいか?

はじめに柳生但馬守(剣一本取って禄一万石)

アカガシの木剣を中段にジリリと構えたものの、一息つく間も気合を緩められない。とにかくこの虎は、すきがあったら飛びかかろうと、牙をむいて、爪を研いでいて、ちょうど獲物に飛びかかろうとする姿勢の虎。それを中段に構えた木剣の陰に我が身をかばいながら、ジリッ、ジリリッと進むと、虎もこの剣勢に押されたか、但馬が一歩前へ出ると、虎が一歩後へ引く。ジリッ、ジリッと静かに追い詰めて、とうとう虎が虎の檻の角に。

将軍が、「但馬、もうよかろう。出ろ」

体を崩さず、前と同じように、また、ジリッ、ジリリッと、小刻み体を後ろへ。ようやく外に出ると、但馬の全身は脂汗でぬぐわれたようになっている。

次に品川東海寺住職沢庵禅師

のっそり虎の檻の中に入る。

但馬守に追いすくめられて小さくなっていた虎が、ムクムクッと起き上がってきた。

飛びかかるかと思いし虎が、立ち上がると同時に、沢庵禅師の衣のすその周りを、さながら飼いならされた猫が主人の裳裾にまつわるごとく、快しげに足元を二度、三度回った。やがて、沢庵禅師の足元にコロリと横になって、のどをゴロゴロ、ゴロゴロと鳴らしている。そののどを鳴らして寝転んでいる虎の頭を、右手にさげた数珠でもってかるく、なでるようにたたいている。

家光びっくりして、いつまでもやってるので、「もうよかろう、禅師」

沢庵禅師は、「さようか。おとなしくしとれ。また来るでな」

生ける人間にもの言うがごとく、虎にそう言い残して、今度は但馬守とは違って、クルッと虎に背を向けて、人の家をいとまごいしてくるのと同じように、悠々と出てくる。虎もその後を追っかけて、「坊さん、まだいいじゃねえか」というような様子。虎の檻の戸のところに来て、もう一度ふりかえった沢庵禅師が、「また来るぞ」といって、平手で虎の頭をなでて、そして悠々と外へ出てきた。汗も何もかいていない。

家光将軍がまず但馬守に尋ねた。

「但馬、そちはいかなる心構えにて虎の檻に打ち入りしか?」

「柳生流の真の気合をもって攻めつけました」(相対的な積極)

「沢庵禅師、御身は?」

「何の存念もありません」「愚僧は、仏道に精進いたす者。虎といえども仏性あり。慈悲の心をもって接したまでです」(絶対的な積極)

結局、どんな場合も、沢庵は心が虚に、気が平になっているから、なあんとも思わなかった。

人生、いくたびの危険に遭遇しても、虚心平気でいれば何も恐ろしいことはない。「ああ、恐ろしいな」と思っているうちはまだ恐ろしくない。「ああ、恐ろしいな」と思っているときは、まだ自分は生きている。本当に恐ろしいことは死んでしまったとき。生きてる以上はけっして本当に恐ろしいことはない。

 

 

 -