配置転換命令の有効性について
会社が従業員に配置転換を命じた場合、従業員から「なぜ自分が異動しなければならないのか、異動命令に応じたくない」と拒否されるケースはよくあることです。それでは、会社は人事異動を行う際に従業員の同意を得なければならないのでしょうか。
一般的には、使用者には、事業の効率的な運営のために従業員を適材適所の部署に配置することができる人事権があると思われます。したがって、従業員を異動させるのも人事権の一部であり、正当な人事権の行使である限り、従業員はこの命令に従う義務があります。
しかし、使用者が正当と考える配置転換であっても、従業員からは配置転換の不当性を主張され配置転換命令に応じないことがあります。使用者はその配置転換命令は有効なものなのかを見極めないと権利濫用ととられてしまうので慎重に行う必要があります。
それでは、配置転換命令権を行使する場合についての注意点をお伝えしたいと思います。
(1)配置転換命令権の根拠はあるか
配置転換命令権の行使が正当な人事権の行使であるためには、まず、労働契約上、会社の配置転命令権が認められていなければなりません。したがって、就業規則や労働協約に会社の配置転換命令権が定められているかどうかを確認する必要があります。 一般的には、就業規則に「業務の都合により出張、配置転換、転勤を命ずることがある」等と記載されているのが一般的です。就業規則に規定があれば、従業員はそれに従うことになります。ただし、その就業規則が従業員に周知されていることが前提です。
(2)配置転換命令権が使用者の権利濫用になっていないか
配置転換命令権が上記(1)のように就業規則等に規定されていれば、その権利の行使が無制限に認められるのかというとそうではありません。なぜならば、配置転換命令権も労働者の利益を考慮して行使されなければならないのであり、業務上の必要性と労働者の労働条件等や生活上の不利益を配慮した合理的なものでなければならないとされているからです。例えば、次のような場合の命令権の行使は権利濫用となり無効になってしまいます。
1・業務上の必要性もなく転勤を命じる場合
2・転勤命令が不当な動機・目的をもってされたとき(業務上の必要性が存在する場合であってもだめです)例えば、退職勧奨の目的のために異動を命じた場合です。
3・その転勤命令が、従業員に通常甘受すべき程度を著しく越える不利益を負わせることになる場合で、例えば、●賃金の減額や労働時間の延長など、労働条件自体が不利益になる場合 ●通勤時間の増加や配転後の職場で到底無理な業務への適応を要求される場合 ●従業員自身や同居の家族の健康の保持、未成熟の子の養育など生活上において著しく不利益になる場合です。
(3)雇用契約において、勤務地限定・職種限定の契約をしていないか 雇用契約において、仕事内容や勤務地が限定されていると認められる場合には、その範囲でしか会社は配置転換命令を出すことができません
(4)配置転換命令とあわせて代償措置をとったか 例えば、社宅の提供や別居手当や住居手当などの支給をするなど代償措置の可否が裁判になった場合の有効性の判断材料となります。
配置転換命令が有効と判断された判例に「東亜ペイント事件」があります。
東亜ペイント事件 最高裁 昭和61.7.14
《事案の概要》
人事異動により、神戸から広島への転勤を内示されたが、「母親、妻、長女とも堺市内に住んでいて、妻は1ヶ月前に勤務先の会社を退職し、保育所の保母として勤務し始めたばかりのため単身赴任となってしまう」という家庭事情により、転勤を拒否した。これに対し会社は、名古屋営業所への転勤を内示したが、これも拒否し、懲戒解雇となった。
《最高裁の判断》
当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤労意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、業務上の必要性を肯定すべきである。
この判例の判断では、裁判所は配転命令権を認めていますが、不利益の程度については、家族の介護が必要である者、乳幼児を養育しなければならない者、精神疾患に罹患している者などに対しては、不利益の程度を加重して判断されることがありますので慎重に判断する必要があります。
基本的には、就業規則に規定されており権利濫用に該当しなければ、会社は人事権の行使として従業員の同意なく配置転換を命令することはできるのですが、やはり、会社としては後々の紛争防止のためにも、従業員の事情を事前にヒアリングした上、可能な限り同意をとって行使することに努めることが望ましいのではないのでしょうか。