生き方のシナリオ(人生脚本)
「私たちは、幼児期より無意識のうちに人生の設計図をつくり、それを実現するように、知らず知らずのうちにその方向へ人生の進路をとっている」と交流分析(弊社情報コラム2019/5/25で取り上げました)では考えられています。
私の祖父は宮大工で父は天井貼りの内装工です。高校、大学の夏休みや冬休みは祖父や父が働く「建築現場」でバイトをしました。素人に施工はさせてはもらえません。もっぱら、天井に貼る板の事前準備と後片付けで一日が過ぎます。要領が悪いので、作業着は汚れまくります。通常は、弁当を持参するのですが、たまに街中の喫茶店で昼食をとることもあります。その時は、私だけ、汚れた作業服で店に入るのが嫌で、背広を着ているサラリーマンをみて、劣等感を感じました。就職したらきれいな服を着て、食事ができる仕事がいいと思いました。
私の母は、私が中学校から大学まで、名古屋市の熱田区にある中央卸売市場で午後11時から翌朝5時まで働いていました。父親に気兼ねしないですむお金を稼ぐのが目的でしたが、本来が働く事が大好きな母ですから、朝5時半に起き、夜9時に寝る父に合わせるために選んだ仕事だと思います。その影響で、私も時間給のいい、市場でのバイトを母の縁故で紹介してもらい、大学1年生の1年間だけ、蒲鉾等の練り部門で商品を台車(ねこといいます)に乗せて、買い付け業者のトラックまで運ぶ仕事をやりました。そこで働く仲間は、金融業者の個人事業主やスナックのママと同居している方がいました。休憩時間中に、よく言われました。「お天道(太陽)様がいる時間に働く仕事につけよ」と。それを聞いて、漠然と何かを身に着けておかないとまずいなと思っていました。
これらのわたしの体験が、手に職をつけるホワイトカラーを目指すとなり、中学校からの友人の就職先である労働保険事務組合の3階建てビルにあこがれて、社会保険労務士の資格を取得し、社労士事務所に勤務する人生設計図ができあがりました。そしてその仕事で34年間、知らず知らずに還暦に向けて3年となりました。
それでも、人生の脚本は変えることができます。「『私の人生』という物語の主人公は、自分自身である」。
人生の脚本の書き直しのために、どんな視点があるのか。それを次回、取り上げてみたいと思います。