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テレビ・インターネット・メタバース

   

2021年10月28日、米フェイスブックがメタ・プラットフォームズと社名変更しました。その意図は、インターネットの後継となる「次世代の社会的つながり(ソーシャル・コネクション)」=「メタバース」から来ていると思います。
メタバースとは何か?
「メタバース は、コンピュータやコンピュータネットワークの中に構築された、現実世界とは異なる3次元の仮想空間やそのサービスのことを指す。日本における意味合いにおいては基本的にバーチャル空間の一種で、企業や2021年以降新たに参入した人々が集まっている商業的な空間の事が主にそう呼ばれる。 ウィキペディア」とあります。
さらに、大阪大学の石黒浩教授によれば、「アバターと呼ぶ自らの分身を使って、ショッピングやライブ演奏を楽しみ、仲間と集い、恋人たちがデートする。距離の制約はなくなり自宅から仮想オフィスに出社する。アバター同士の視線を合わせた会話はテレビ会議より親密感をもたらす。自動通訳で言語の壁さえなくなる。母語で話せば人工知能(AI)がリアルタイムでどんな言語にもたちどころに変換してくれる。メタバースは物理的には存在しないが、「仮想」とは言えない。新しい生活空間そのものだ。仮想化実社会だ」と。
また、東京大学の鳴海拓志准教授は、「体が不自由でも、話すのが苦手でも、仮想現実(VR)世界でアバターを使えばハンディは消える。メタバースは身体障碍者や高齢者の社会参加を広げる」と。

2030年には、メタバース経済圏の市場は100兆円を超える規模になるといわれています。すでに公開されている「The Sandbox(ザ・サンドボックス)」などゲーム用のメタバースでは仮想の土地取引が急増しているといいます。累計の取引額は2021年12月末時点で3億ドル(約345億円)を突破したそうです。

そこで、私が小学校6年生だった時、担任から「テレビ」について作文を書きなさいという課題がでたことを思い出しました。私は、「テレビとは何だろう?」という題でつぎのようなことを書いた記憶があります。
テレビは人間にとって何だろう?スポーツや笑いをテレビの前にすわれば見せてくれる便利なものである。野球場に行かなくても、劇場に行かなくてもただそこに居さえすれば同じ楽しみを与えれくれるずごい機械である。ただ、そこには危険がある。何も考えないで座っていると時間がただただ過ぎていく。あっという間に一日が終わってしまう。何もしないで終わってしまう。宿題をすることも、ごはんを食べることも、寝ることもテレビが主役であとは脇役となる。怖いと思う。いけないと思う。テレビに流されてはいけないと思う。テレビを主役にしてはいけない。人間を主役にしなければ意味がない。だって人間がテレビを発明したのだから。

同じようにインターネットについて、SNSについて思うことがあります。これは最近です。
情報機器をつなぐネットワークによってどこにいても環境さえ整えば何でも検索ができる物理的地理的時間的課題を超越した百科事典。そして、スマホの普及が合わさって何十年ぶりの友人とも昨日会ったように交流できる究極のコミュニケーションツール。さらには可愛い孫の成長を毎日のように楽しむことができる写真と動画と情報をミックスした記録記憶媒体。子供のなりたい職業が「ユーチューバー」といわれるほど自己PRを動画サイトで継続的に流すことで一躍世界に知られる存在になれる魔法の道具。これらの中に危険はないのか。
ネットで調べた内容は、確かな裏付けをとらないと手間を惜しんだ代償がかなりの痛手となる。共有化した情報・動画は独り歩きして噂の渦中に埋まることもある。知らない人が突然、SNSを見たんですがと時間を奪いに来ることもある。

組織に属することよりも個人の尊厳を大切にする意識が高まっていると言われています。なりたい、やりたいという自己実現や自己承認を満足させてくれる場を、自分自身の定着の場として選ぶ傾向があるということでしょうか。自分の権利を主張することは、人として大切な行いだと思います。それと同じくらい大切なのが自分の責務とは何かと考えて、その責務を全うしようとする行いです。自律した人間同士が互いを尊重し合い、高め合うことは人間が人間として生きていく根源だと思っています。あくまでも人としての五感を研ぎ澄ませて、人として忘れてはいけない事、やってはいけない事、やらなければいけない事を追究し続ける姿勢は、いつの時代も求められると感じています。ある動機付け研修で講師が教えてくれました。幼稚園児でも知っている大切な事は何か?その時、わたしは答えられませんでした。それは、「約束を守る」でした。
約束をベースにした自己責任社会の実現がメタバースでも可能であるならば、コロナ感染がテレワークを普及させたように、人類に何かを授けてくれるかもしれません。ただそれを享受するか否かはあくまでも人間の選択でなければいけないと強く思います。私は今年還暦を迎えます。人にとっての幸せとは何かと問われれば、やることがある日々の平凡な繰り返しの中に、いっとき訪れる魂のふるえかなと思います。

 

 

 

 

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